スペイン・バスクスケッチ旅日記
・5月18日 7年ぶりのサンセバスチャン
朝4時に目覚めた。道路側の窓が完全に閉まっていなかったので外の音で目を覚ました。
朝食は1階の受付の奥に準備されていた。
隣席に日本語で会話する年配の夫婦がいたので話しかける。
彼等はこのホテルに2~3回宿泊し、今回は「夫に初めてサンチャゴ・デ・コンポステーラを案内するため」に来たと言われスペイン旅行のベテランらしい。
私の出身地を広島と説明する。彼等は岡山市からだそうで奇遇である。
今から南のブルゴス経由でサンチャゴに行き30日には日本に帰る個人旅行だと説明を聞いた。
9時にホテルを出てビルバオ市のEUSKO TRAIN駅(エウスコトレン駅)を探す。
すぐ近くだと聞いたが結構距離はあった。自動券売機の使い方は記憶しているがコインがすぐには間に合わない。
何とか9時34分出発快速電車に間に合いサンセバスチャンへ列車は向かう。隣席を占有した黒色のバスク・ベレー帽(ゴラ)をかぶった老人達のグループは笑い声を交え会話している。
懐かしいバスクの田園風景を見ながら列車は11時50分終着駅サンセバスチャンに到着した。
そのまま予約済みのペンションを探す。
サンセバスチャンに約3年住み知り尽くした筈である。
ペンションの地図を左手にスーツケースを右手で引きながら歩く。
方向を何度も間違え通行人に位置を確認しやっと辿り着いた。
インターホーンを押すとペンションのオーナー・イナキがビエン・ベニ―ド(welcome)と言って玄関扉まで迎えに来た。階段を上り受付でパスポートを渡してチェックインが終了する。
「部屋はすぐ近くにあるので案内する」
と言い、イナキは私のスーツケースを取り歩き始める。
EUSCO TRAINの駅前広場近くまで戻り建物に入りエレベータで5階に昇った。
廊下には3軒の玄関戸がある。
一番奥まった扉がそうらしい。鍵を開け中に入ると玄関からのアプローチをコの字形に廊下が続き最初の扉が私の部屋であった。
広さ8畳程の寝室とその隣にバスルームがあり寝室にシングルベッド2つが並べられていた。
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最初宿は3星ホテルにネットを介して予約していた。料金はシングル素泊まり60€(7,200円)で以前に妻と宿泊したことがあった。場所、設備等申し分ないものであった。
スペイン出発前にネットで見直すとペンション・レフィールがアンケート結果ランク1位で30~32€と低価格である事が解った。メールを送付しても返事はなくスペイン語で電話を入れるとイナキが出て部屋の予約の話となった。
私の要求はバスルームとテレビが部屋にある条件である。イナキから日本の我家に確認のための電話を入れなおした後、後メールで予約が成立した。―――――――――――――――――――――――
テレビを他の部屋から運び込み条件は満足した。
ペンションの場所も満足するもので今から12日間滞在するには価格も充分である。私にとって部屋は寝るだけで安い方が良い。
イナキは満足かと聞く。そうだと答えた。
ペンションを出て馴染みの中華料理店“北京”で昼食をとった。
その足でグロス地区にある日本人の空手の先生のジムに向かう。
午前中、先生に電話を入れており3年振りの再会である。先生は懐かしそうである。還暦を迎えたと言われるが厚い胸板はスポーツマンとしてなお衰を感じさせない。
「一度イケル達とセナ(夕食)をしましょう」と言う事で別れた。
少し雨が降り出した。
サンセバスチャンは市民や観光客がよく歩く街であり、歩かせる魅力のある街だが、変わったのは自転車専用道路の区分帯が新設されバイク利用者が増えた事。
部屋に帰る前に近くの八百屋で水、菓子パン、ジュースを買い込む。
5月16日からのたまった替着をバスタブの中で手と足を使って洗濯するが干す場所がない。バスタブの上のカーテンレールにかける。
日本時間の午後7時半頃、妻に無事到着の電話を入れた。