[スペインで就職を」回想録 サンセバスチャン留学・学校

3-4 アルバロ 
 サンセバスチャン到着の翌日後、もう一人の同居人はアルバロという青年だと解った。アルバロは21歳.サンセバスチャンのバルでボーイとして働いている為、私と生活時間が異なり顔を会わす事がなかった。
 彼は外国人との同居は初めてで、最初に私に言った言葉は「空手を教えてくれ」だった。私は武術の心得はまったくない。
 アルバロは15才で学校を終え。両親の家を出て自活をしている。両親は離婚しており、それぞれが再婚したため行き場を失い、自活せざるを得なかった事を後から知った。身長180cmでやせ型、目鼻立ちのはっきりしたハンサムな青年である。酒は飲まないがタバコを多く吸う。酒は肝臓がんになるからと言うが肺がんは心配していないようだ。
アルバロは3km先にある旧市街のバルまで歩いて通っている。朝10時に家を出て午後2時過ぎに一度帰って食事をすませる。夕方5時に再び出かけ帰宅するのは夜中の2時頃だ。重いビールケースや食料を運ぶため腕や足が痛み、ひどい時には手がしびれると言っていた。私はアルバロをかわいがり、彼も私に甘えた。
 言葉が充分に伝わらない状態であったがベロニカ、アルバと私の3人の新しい生活が始まった。
3-5 絵画教室 (ドン・ピンセル)
学校の往復、食事作り、宿題とサンセバスチャンの生活はそれなりに安定した。
 2週間を過ぎた頃、アルカラで始めた油絵を描きたくなった。自分の住むアマラ地区周辺で絵画教室を探した。2~3件探した。週2回で月額1万ペセタとアルカラ時代に比べて4~5倍も高い料金に驚いた。
学校ラクンサの美人教師ロサに相談したところ
「セントロ地区の絵画教室ドン・ピンセルが安いと広告が出ているわ」
と教えてくれた。早速出かけた。ドン・ピンセルは画材店を経営しており、その地下が画枠を製作する簡単な工場と約80平方メートルの絵画教室になっていた。
長い作業用机2列が並べられ壁側に木製イーゼルが5脚ほど余裕なく並んでいた。迷う事なく入会金3000ペセタと月会費5000ペセタを支払って会員になった。
 絵画教室に行く理由の一つは、アルカラ時代のように教室に通う人達と会話の練習が出来ると思ったからである。
ベロニカの家では1人でテレビを見るくらいで、他の2人は仕事に出かけるため話し合う事はなかった。またベロニカやアルバロの話す言葉はよく理解できなかった。ベロニカはスペイン内戦のため8才で家を出て苦労したらしい。教育をしっかりと受けていないからと自分で説明していた。
 画材店のキャビネからモチーフとするラミナと言う印刷物を探すように言われた。いわゆる模写から始める。
最初に選んだのは大昔のフランス風景で10号程度の大きさで川縁に係留された蒸気船の絵であった。(シスレーの絵)それに似合うキャンバスを買ってデッサンを始め、1時間も経過しない内に着色を始めたので先生アルホンソは呆れていた。
普通初心者はデッサンに1日か2日を要するものらしいが、私に言わすとこれは模写である。決まった構図に迷う要素はない。
むしろ色の表現が正しく出来るかが問題であり結局2週間で仕上げた。この絵は日本に持ち帰り今でも我が家に飾っている。
3-6 インテルカンビオ
 ラクンサでは生徒に喋らせる事を優先した文法中心の授業が行われていた。まだ私には先生の話す言葉の半分程度しか理解できなかった。学校に通う日本人はミワと言う30才前後の女性がいた。彼女はスペイン語を始めてまだ2か月との事だったが、その前にアメリカに1年留学していたらしい。若さと語学のセンスの良さからスペイン語の上達が早いと感じた。
 ミワは4月に一度会ったサオリと共に、サンセバスチャンで日本語を学ぶスペイン人青年達とインテルカンビオ(交換会)を持っているらしく、その場に私も一度呼ばれた事がある。皆自分の子供と同年齢ぐらいの中に混じるのはおかしな話で、最初は何かと理由をつけて断っていた。
 このインテルカンビオの中心的役割を果たしているのがイケルであった。
彼とは4月に一言二言交わした程度であるが、最近では毎週のように誘いの電話を入れてくれる。年齢の事はともかくイケルとの交際が始まった。この頃私はミワにマイコを紹介した。二人は同じ年齢で東京出身ということで、すぐに打ち解けた。
6月25日の午後、サンセバスチャンのプラザ・ビルバオで落ち合った。車のグループと電車のグループに分れ、イケルが住む西方50kmのデバ村に向かった。私はイケルと2人。エオスコ・トレンという私鉄を利用しはじめて見るバスク地方の川沿いや沿線風景を見た。緑が多い渓谷的風景だ。放牧のため芝生が小高い丘を覆い日本と異なるヨーロッパの田園風景である。
 イケルとはスペイン語と日本語の半分で、車中1時間ほど話し込んだ。彼はサンセバスチャンで日本語、空手、剣道を習う大学工学部の学生だ。
「いずれ日本に行き空手を習いたい」
と言っていた。
 デバは人口3千人たらずの小さな村だ。海に面した河口に開け、穏やかに生活するには充分だと感じた。村は線路で2分されておりイケルの家は川沿いを歩いて5分ほどの場所にあった。庭付き3階建ての家は、田舎のせいか裕福な生活か、ゆったりとした生活環境を思った。
イケルの家から数分も歩かない場所に浜辺がある。それに面して今は窓を閉め切った別荘が立ち並んでいる。夏には休暇を楽しむ多くの人達が集まる。
 デバに来た目的は、ソシオと呼ばれる公共施設で料理を作り楽しく時を過ごすためである。ソシオは会員制で、家族・友人が材料を持ち込み、男性が料理をおもに担当するらしい。そのための設備や酒類が完備されていて価格は安い。ルールに従いイケルが中心になって料理する。もちろん料理のスペシャリスタ、マイコも腕を振るい、久しぶりの巻寿司をご馳走になった。