5月27日 ジューレン
・5月27日 ジュ―レン
曇り。
今日はスケッチの予定はない。
午前中、パルテ・ビエハ(旧市街)で帽子を探した。結局気にいるものはなく諦めた。衣服とは異なり帽子は顔の一部となるためで自分の様な醜男に似合う帽子は簡単に見付からない。
アマラ地区のバル・アウケラで昼食をとる。このバルはサンセバスチャンに最初に来た13年前のアパートの下のバルである。経営者の息子ジューレンには色々世話になった。地下の食堂で食事をした。
ジューレンの妻が注文を取りながら私を覚えていると言う。
食事の後階上のバルでカフェを頼みながらジューレンと話す。
もう子供が16歳になり自分より背が高いと言う。ジューレンの意味はバスク語で6月である。
もう再会する機会はないと思いつつ店を後にした。
一度部屋に帰り横になりながら考える。
イケルの提案によりデバには明日の5月28日(土曜日)セナの後で移ることに決めていた。少し荷物の整理をしよう。
ペンション・レフィールのイナキには滞在変更と宿代を今日払う旨を伝え本日15時~16時に会う約束をしていた。
ペンション・レフィールの内部を見たことはない。
部屋代363 €を払い洗濯物を受取りながら今度来ることになればここに泊まるとイナキに話をする。その傍を若い男女2組が片言のスペイン語を話しながら「あなた何人」と質問してきた。彼らは米国人。
このペンションに日本人は多く来るかと聞くと多くはないと答えた。サンセバスチャンにはネットに記載されないペンションは他にもたくさんある
部屋の掃除をしてくれたカルメンに枕銭を幾ら置けばよいかと聞くと5 €もあれば充分と言う。