スペインで就職を回想録(同僚と夕食会、サッカー)

19.同僚と夕食会
 会社の仲間達と一緒に食事をする事は通常は行なわれない。
 その理由が車通勤のせいか文化なのかよく解らなかった。
 皆で宝くじを買いその積立金がある程度たまった時に気の合う人の送別会を兼ねて食事会が催される、
 しかも上司は絶対に呼ばない。
 食事会は夜の10時頃始まるがその1時間前にあるバルに集まり、幹事が適当に前金を集金する。その後で3軒から4軒のバルを梯子した後でレストランに向かう。バルではピンチョ(注)を摘みながら酒を飲む。
 食事はその場で各々好きなメニュウを選ぶが、値段が高かろうが安かろうが全て割り勘である。遠慮は無用で好きな料理と好きな酒を頼むことになる。
 前菜から始まりメイン料理、ポストレ(デザート)食後酒、葉巻までが割り勘の対象になる。
 食事会の終わりは夜の12時から午前1時頃であるが、これでは終らない。それから2次会、3次会へと出かける。行く場所は小さなディスコで全員が納まる店を探す。
 暗く喧しく狭い中を幹事が酒の注文を得て踊りが始まる。
 今まではこの付き合いに辟易していたが、踊りなぞ見るものではないと悟った私は踊ることに専念した。皆踊りは上手い、若い人達は動きの激しい踊りを踊っている。皆ダンスは得意のようである。
 私は海老踊りを披露した。(活きエビが跳ねるように)
 東洋のおじさんがフロアー中央で踊るので注目の的となる。技術部の1人は酔っていたのか、近くの他のグループの娘さんに
「東洋のセックスはいかが」
と質問をした。娘は私の前に踊りながら位置を変えて
 「いいわよ、それで何時よ、私は今からでもOKよ」
 「とんでもない」
 そんなジョークがあって時間は、朝の5時を過ぎる。54歳の身には疲れと眠気が襲う。
 皆帰りそうもない。私の住む場所は20km程離れた場所で誰かの車に便乗するしかない。結局ディスコを出て海岸で風を受けて酔いを醒ませ6時過ぎにその場所を去り朝の7時に自宅に着いた。
 食事会とは2日がかりである
 スペインでも飲酒運転の規制は厳しくなって高額の罰金が課せられる。
 朝の5時がこの検問の一番多い時間帯で6時過ぎなら大丈夫と聞いた。
注)
 ピンチョとはバスク特有の酒のツマミであり大きさは握り鮨よりやや大きくパンの上にエビやコイワシの油付け等色々載せて準備したものである。1個100円から300円で大皿の上に盛られ客が好きな物をとって食べる。左手にワイングラス、右手にピンチョと言った具合に。
 昔新聞で東京から業者がピンチョの作り方を勉強に来たと言う写真入りの記事を見たことがある。


20.サッカーと週末
 スペインはヨーロッパ諸国同様サッカーの大変盛んな国である。
デバ村もレアル・ソシエダと言うチームの熱狂的なファンが多い地域の一つである。
 隔週、この村から約40km離れたサンセバスチャンで行なわれるホーム試合の応援に出かける。その応援にはチームから手配されたバスが往復にあてられその運賃は1ユーロ(130円)程度で、この村人にとっては週末には欠かせない楽しみの一つになっている。
 夜中12時頃そのバスが村に帰ってくる。
 勝てば勝って、負ければ負けて若者達はレアル・ソシエダの応援歌を合唱してそれぞれが帰途につく。丁度アパートの下がバスの終着点で多少迷惑を被ることもあるが、私もレアル・ソシエダ ファンの1人である。
 このチームはレアル・マドリドやバルセロナのような強くてスーパースタ-を抱えるチームではなく例年15位から下の順位を往来しながら、かろうじて2部転落を免れる弱小チームである。
 ところが2003年のスペイン1部リーグで大異変が起こった。
 我チームは前半戦負け知らず後半戦も最後までレアル・マドリドと優勝を
争って直接対決の最終戦で敗れた。
 それはトルコから来たニハトと言う非常に足の速いフォワ-ド選手の活躍があって大変な騒ぎとなった。
 バス・サービスはこの村だけに限ったことではない。
 交通の便の悪い場所に大体このシステムが適用されサンセバスチャンの
 アノエタサッカー場には多くのバスが駐車しているのを見た事がある。
 サンセバスチャンに住んでいた頃、友人メンチュウから入場券を融通してもらい試合をよく見に行った。会社に勤めだしてその機会に恵まれなかった。
 しかし長男が大学院卒業の休みを利用しスペインに来た時、社長のはからいでアノエタサッカー場の特別席(屋根付き、冷蔵庫付きマス席)を用意してもらい父子で観戦した事がある。
           アノエタサッカー場f:id:viejo71:20181021104819j:plain