スペインで就職を回想録(忘年会、南部へ旅行)

10.忘年会
 2001年仕事の最後の日従業員全てが集う忘年会に約200名が参加した。(社長はA社の他に2つの会社を経営)
 全員が顔をそろえる。
 午後9時過ぎ隣町のスマヤにある大レストランに集合した。
 晩餐会にはまだ1時間余裕があり、めいめいワインやビールを片手にお喋りをして午後10時頃テーブルに着いた。
 本年はA社の新社屋落成を記念して行なわれ費用は全て会社持ちだと聞いた。毎年社の忘年会は行なわれるが、全員は呼ばれず各責任者とか社長の目にかなった者に限定されるらしいが本年は異例である。

 先ず前菜が運ばれ食事を始めるが社長の挨拶はない。
 忘年会がいつ始まったのか、けじめがない。
隣の人に聞くとスペインでスピーチをするのは、政治家だけと言う。
 日本風に挨拶がないのは少し寂しい気がするがそれもシンプルで良い。
   本当はスペイン語での挨拶を準備していたのだが!!

 通常レストランでは2皿の料理であるが、ここでは5皿も出た。
しかもボリュームたっぷりでもう腹一杯である。
 やがてカフェが出てようやく宴会は終わる、夜中の12時半を過ぎていた。
 これでお開きかと思うと
「さあ、今から2次会に行こう」
と言う。
皆の後について行くと2~3軒のバルを物色しながら何とか皆が納まりそうな店に入り先ずは飲み物を注文する。
 それから踊りが始まった。
 スペイン人は踊りが好きである。
 モンキーダンスなどめいめいが勝手な踊り方で狭い場所を動き回る。
 皆、かしこまった顔では踊らない。
少し抜けたような顔をして女性も男性も踊っている。私にも踊れと言うが
恥ずかしくて断る。
 社長は年齢48歳。暗い室内にもかかわらずサングラスをかけ、ギター弾
き語りのまねをしながら皆の中を飛び回る。(エアーギターと言うそうだ()
一方私の上司は部屋の片隅で、ちびりちびり酒を飲みながら
「私は踊れない」
と言う。自尊心の高い人間は踊れないと感じた。
阿波踊りではないが、あほになって踊らねば楽しくなれない。
 朝の3時過ぎに2次会は開けた。
 バルの外で皆を待っていると暗闇の中自分に注がれる2つの目を見た。
 連れに「あいつは何者だ」と聞くと、「マリコン」だそうだ。
 マリコンとはホモである。


11. 冬休み
1.) 冬休み
 入社後、3ヶ月があっという間に過ぎた。
 ボーナスが勤務日数相応に私にも支給された。
 12月22日から1月6日までの約2週間の冬休みに入る。
 ボーナスは法律により7月と12月にそれぞれ1か月分支給される。
 夏は1ヶ月のバカンス用に冬はクリスマス用に支給される。
 クリスマス前の最後の出勤日に会社からクリスマスプレセントが全員に支給された。段ボール箱に詰められたプレセントはシャンパン・ワインや生
ハム・菓子等時価2万円相当と聞かされた。
 この最初の冬休みをマドリドの日本大使館経由(運転免許証の書類受け取り)でスペイン南部のマラガ・グラナダに旅行する。アルカラ・デ・へナレスの語学学校の女性教師ローラ、若い日本人男子学生2人で貧乏旅行に出かける。

2.) 南部への旅行
 サンセバスチャンから最初の目的地のサラマンカ迄の列車を会社の女性にインターネットで予約してもらった。
 デバ村から私鉄で1時間かけサンセバスチャン迄行き、国鉄に乗換えてサラマンカ経由でマドリドにバスで向かう。
 12月25日が来た。
早朝アパートから鞄片手にデバ駅に向かうが誰もいない。
いつもと雰囲気が異う、壁に貼られた伝言用紙を見ると
「クリスマスにつき間引き運転を行う、12月25日は午前中・午後共ダイヤは1本ずつ」
 冗談じゃない。
 サンセバスチャンからの国鉄急行列車はすでに切符も買っていた。
 駅前に1台のタクシが客待ちをしているのを見つけた。
「電車がない、大変だ。サンセバスチャンまで幾ら金がかかる?」
「7000ペセタ(約5000円)だ」
想定外の出費である。
 スペインではクリスマスの交通機関のダイヤには要注意である。
(パン屋も年1度だけこの日に休日をとる)

サラマンカへ>
 サンセバスチャンからの列車の隣席に日本人の若い女性を見つけた。聞けば、現在ドイツ・マツダで働く娘さんで冬休みにモロッコへの1人旅だと言う。ミランダ駅まで久しぶりの日本語で楽しく話をさせてもらった。
 数年ぶりにサラマンカ駅に降りた。サラマンカは私の好みの街である。
 元女性教師ローラが迎えてくれた。
久しぶりに会うローラは随分太って見えた。それを口に出すと気分を悪くしたようである。
 彼女に安ホテルを依頼していた。ローラに会うのもサラマンカを訪れるのも何年振りだろう?
 ローラと遅い晩飯をとりその日は別れた。
 翌日サラマンカからマドリドまでバスで向かった。

<マドリドから南へ>
 そして日本大使館で郵送依頼していた日本の運転免許証の翻訳を受け取った。大使館では若い日本人男性がスペインに到着後すぐに暴漢に襲われ有り金全部とパスポートを奪われたと途方にくれていた。
 ローラは長身の大女(ムヘローナと言う)で私の用心棒的存在である。
 翌日マラガに向け日本人男性2人とローラと私の5人の旅が始まった。
 マドリッドからコルドバまではスペインの誇る新幹線をAVEを利用した。連接台車構造のため騒音・乗り心地はすばらしい。
 スペイン北部とは異なる風景を楽しみながらマラガに着いた。
 マラガはピカソの住んだ街で南国の香りのする観光都市である。
 1部屋に5つのベッドを持込ませ宿賃を値切るような旅行であった。
 ローラをはじめ日本人の若者も貧乏と言うひとくくりの共通感があった。この時日本でのバブル浪人と言う言葉を聞いた。
 土産店を両脇に連れ沿った長い坂を上りアルハンバラ宮殿に向かった。 
 なんだか京都の清水寺に向かう坂を思い出した。
 頂上から見下ろすと谷を隔て対峙した住居群風景は迫力十分な絶景である。
グラナダアルハンブラ宮殿の庭でアメリカから旅行に来たという日本人老夫婦とも話した。

 

<北へ帰る>
 旅の最後、皆と別れマラガから北部ビルバオイベリア半島を縦断する1000km長距離の寝台列車の旅をした。
 記憶ではこれで6000円~7000円の料金で大変安価だったと思う。  
 車内には黒人青年やスペイン人のおばさん等1室6人の寝台車は満員であった。夜中少し寒かったせいか、睡眠不足でビルバオ駅に到着した。 

 本日はスペインの大晦日である。
列車から降りると、40歳過ぎの男性がホーム端で待つ父親にかけより抱き合いながら涙を流す姿を見た。久し振りの帰省なのか、良いものを見た。
 スペインの正月は1月1日のみが祝日で12月31日の夜は日本の紅白歌合戦のような有名人歌手総出演の番組がある。フリオ・イグレシアスはまだ健在で大御所的存在である
2002年の1月1日からEU圏内で通貨がユ-ロに完全に切り替わる。
古い通貨(ペセタ)を使い切るため大晦日を自宅で迎える事にしていた。
ナポレオンも夢見たと言われるヨーロッパ通貨統合であり、記念すべき日
であった。