「スペインで就職を」回想録 再び北へ

2-10再び北へ
1) マイコ
   日本人女性のマイコをはじめて学校で見かけたのは、今年の1月の事だ。
落着きのある女性という以外に特に強い印象を持たなかった。彼女はスペイン語のレベルが高く、クラスも上だったため、カフェでしか言葉を交わす事がなかった。そんな彼女と親しくなったのは、私が上のクラスに上がり、彼女が下のクラスに下がったためで奇しくも同じクラスになったのがきっかけだった。
マイコはクラスを下げた理由を
「上のクラスは宿題が多くて自由な時間が持てないから」
と言っていた。そんな訳でアルカラの学校では1ヶ月同じクラスで授業を受けた。その後アルカラに住所を置いたままマドリドの学校へ移って行った。
   静岡出身の自称アンダルーサのマキから帰国送別会の誘いがあった。
  先生のローラとワインを買って参加した。その時マイコと席が隣になり話し合った。   マイコはサンセバスチャンへ料理学校の試験を受けに行くと言う。
  私もサンセバスチャンへ家を探しに行くと話すと
 「じゃー、一緒に行こう。その方がペンションも一緒に泊まれて安上がりだよ」
とマイコが言い出した。
 「えっ」私は驚いたがマイコは
「私は問題ないわ」
 と、あっけらかんとしている。そういう事は若い人の間では当たり前であるらしい。後にマイコは
「5月16日、マドリド発の夜行バスで発とう。往きの切符はマドリドで購入しておくわ」
 と連絡してくれた。この時期にはサンセバスチャンの学校からFAXや電話で授業料の見積もりを入手していた。
学生ビザの申請は9月を期限として提出していたが、帰国をいつにするかこの頃
から迷い始めていた。お金のことを考える必要があった。
 5月16日の夜、アルカラ駅でマイコと待ち合わせた。マドリドのヌエボ・ミニステレオ駅で降り昔住んでいたサン・ファンデラ・クルースの解り難いバス停まで歩いた。バスは夜中の11時に出発し朝の6時半に到着予定である。満席のバスは静かに北に向け出発した。ほとんどの乗客は寝入っていたが、マイコと私は朝の3時頃まで色々な事を話し合った。
マイコは
「東京出身で美大卒業し大手建築会社に就職した後、会社を辞めてスペインに8カ月留学、その後旅行会社に勤めたが、料理を学ぶため再びスペインにやって来た」
と言う経歴で現在30歳だという。海外旅行が好きで、すでに15か国以上は旅行しているというベテランだそうだ。
2) ピソ探し
   サンセバスチャン到着の2日目の朝、マイコは面接試験のためアルカラから持参
した服でドレスアップした。見違えるほど美しかった。
「頑張って」
と言ってエールを送り別れた。
  カサ・ニコラサのアナ・マリア夫人に教わった不動産屋が見つからず、昨年宿泊したホテル・二サの近くの不動産屋に出向いた。月額7万から8万のアパートが普通であり、もっと安いアパートを斡旋する不動産屋アルダバを紹介してもらった。
 私の要望はいつのまにかピソ・コンパルティールに変わっていた。それはピソの前払い金が不足している事に気がつき、アルカラから預金通帳を持参していない。それにカードも作っていない。盗難や紛失した場合を考えると安全であるが安全な分だけ不便だ。
  不動産アルダ バのお嬢さんは
「いつまでサンセバスチャンにおられますか、宿はどこですか?」
と言って手際よく質問を進めた。そして
「今日は準備が必要なため明日電話で連絡します」
と言い、次のペンションの予約をしてくれた。ここには手数料として1万5000
ペセタをVIZAカードで支払った。
一方マイコは面接も無事に終わり、手際よくピソも決めてマドリドに向かった。
彼女は
「ピソを探すのが好きだし、運も良い」
と言っていた。狙ったものはほぼ一発でしとめるらしい。その上言葉も出来る。知らず、知らずマイコを頼る自分を意識した。
2日目にマイコから多くの助言をもらったが、思うように事は進まなかった。
家探しがこんなに難しいとは思わなかった。一度アルカラへ帰って出直そうかと
弱気になったがマイコから
「とにかく決めてから帰りなさい」
とたしなめられた。
    不動産屋に依頼しているので幾分気楽に夜を過ごした。
    アルカラの学校とピラールには1日帰りが遅れると電話を入れた。
翌朝、街を歩いていると不動産屋アルダバから
「5分以内に店に来てくれ」
と携帯に電話が入った。
   不動産屋アルダバでは3か所の候補を用意してくれていた。各住所と家主との
面会時間が書かれていた。
    家賃は月額2万5000ペセタ、3万ペセタ、3万5000ペセタと3ランク。
もしこれで気にいらなければ他を探すと言うが私は金曜日までにはアルカラ
に帰るつもりでバスの切符まで買っている。帰らなければ金が足らない。
住所だけでは解らないので観光案内所でもらった地図にマークしてもらった。
  結果は
 1件目:設備不足、ベッドのマットレスは自分で手配の必要あり粗末、光熱費
別で2万5000ペセタ
 2件目:光熱費込み まあまあのレベル、洗濯は3000ペセタ追加希望された
 3件目:光熱費別、少し高級感はあるが30歳の女性家主が生意気
結局2件目に決めた家主はベロニカと言う67歳の婦人で1ヶ月分を前払いした。領収書は却下されたが代わりに家の鍵をもらった。5月30日にはここに来るからと住所・氏名を書いてもらった。
  「ああ、やっと家が決まった」
サンセバスチャンに来てから実に5日目の事であった。
  その夜、ホセのレストランで経緯を報告し、ホセとアナ・マリアの3人で食事をごちそうになった。食事中ホセは立ったり座ったり落ち着きがない。
 何故と聞くと「明日からバスク地方労働組合が週35時間の労働条件を盾にとりストライキをやるかも知れない。」
 とのこと。それがホセにどう影響するのか聞かなかったが、念のためバスの予定時間より1時間早くカサ・ニコラサを切り上げた。
 今晩帰るのでストライキは関係無い。
良かったと思いながら雨の中、人気のないウルメア川沿いの散歩道をアマラのバス停まで歩いた。木々が生い茂った寂しい場所を夜遅く歩くのは気持ちの良いものではない。この時ペドロが言った事を思い出した。
 「田舎者がマドリドのような都会に行くときは現金を靴下の中にいれて靴を履く。必要ならトイレで簡単に出せるだろ、いつもそうしているよ」
とスペイン人がスペイン人を信じられないからそんな事をするのかと思った。
外国人はなおさら気をつける必要がある。

f:id:viejo71:20180925120942j:plain

  この道を歩きバス亭に向かう。夜は誰も通らない寂しい散歩道。絵は自作の油絵。