2-8 北へ
1) ラクンサ
  昨日のいやな思いが消えないまま、昔の友人ペドロの住むバスク地方のベアサインに向かった。わずか500kmの距離を1日10便もない国鉄特急列車で6時間半かけての旅だ。 
 列車がスペイン北部のバスク地方にかかると、アルカラやマドリドとは違った緑の多い潤った風景を目にする。そんな風景を見ながら改めて思った。
「私の最終目的地がバスクだ。そうだバスクの学校に移ろう。古くからの友人ペドロやホセもいるではないか」
サンセバスチャンには夕方の4時半に到着した。
 1年前に単身でスペインに来た時に宿泊した旧市街地にあるホテル・パロマに直行した。ホセが経営する高級レストラン「カサ・ニコラサ」もこのホテルの近くにある。
その夜、ホセを訪れ簡単な土産を渡した。この頃、私は少しまとまった会話が出来るようになり、それで有頂天になっていた。
 ホセの奥さん
スペイン語が少し上手くなっただろう」
と厚かましくも言うと「少しはね」と言われてしまった。恥ずかしい思いがした。
 翌日の月曜日、ペドロとは夕方6時に会う約束をしていた。ベアサインにはセルカニアで1時間足らずで行けるため充分な時間があった。
 学校を探そうと街をぶらついていると、セントロ地区にある大聖堂近くの本屋から日本語の会話が聞こえてきた。
本屋の中を見渡すと、日本人らしい女子が3人のスペイン人男性とスペイン語で話しているのが見えた。
「おかしい、サンセバスチャンで日本人を見る事は滅多にないはずだが・・」
 本屋を出た彼らを追って日本人らしき女の子に声をかけた。
 彼女はサオリと言う名前でもちろん日本人であった。スペイン人男性の1人はイケル。後々彼とは長い付き合いになる運命的出会いであった。
偶然にも、サオリはサンセバスチャンの語学学校に通う生徒だった。学校はその場所から2分とかからない場所にある。
 サオリに案内してもらい、インターホンを押してドアを開け折れ曲がった階段を上った奥に学校があった。受付で資料をもらい、後で質問するからと言ってその場を去った。学校の名前はラクンサであった。

2) ペドロの家族
 サンセバスチャンからセルカニアに乗った。緑あふれるベアサインのホテル・カスティージョに着いた時午後5時半を過ぎていた。早速ペドロの家に電話を入れると、娘のアイノアが出た。昨年の6月妻とともにペドロの家の夕食に招待された事があったので、一人娘のアイノアも私を覚えていた。
「今いないので探して後から連絡します」
と言って電話は切れた。
 ペドロには彼が勤めるC社に就職を依頼していた。そのため昨年12月にアルカラでの生活が始まってから2~3回連絡を取り合っていた。ペドロに会うのはもう少しスペイン語がうまくなってから、と思っていたのでなかなか腰が上がらなかった。一方ペドロも週末は家族でスキー旅行に出かけてベアサインを不在にし、それで結局4月12日に会う事になったのだ。
 しばらくするとフロントからペドロが来たと連絡があった。
 サロンで少し話をした後「ここで話をするか、彼の家に行くか」と聞かれたので
即座に家と答えた。
 ペドロの家族は社宅に住んでいる。スペインでは社宅は珍しく、幹部しか住めないらしい。集合住宅であっても、屋根付き車庫と広い庭がある。
ペドロの妻でしっかり者のカルメンと挨拶を交わし10畳間ほどのサロンに落ち着いた。
ペドロは
「幹部には3回以上君の話をしている。明日紹介する。履歴書を持って来たか?」と尋ねた。まだと答えると「すぐに準備しろ」と言って、娘のアイノアに白紙のコンピュータ用紙を運ばせた。
 ペドロと私のペースが違うらしい。
「解った」と一応返事はしたが、これは大変だと思った。
 運よく西和と和西の2冊の辞書を持ち合わせているので何とかなると思った。
 夕食は午後8時過ぎに始まった。隣に座ったアイノアと話をした。
「間接法で話すのかい」
「あまり使わない」
 その日はちょうどカルメンの誕生日だと聞いていた。
そのため、カルメンにはひっきりなしに友人から電話がかかる。まずい日に来たと思った。娘アイノアは「お客さんが来ているので早く電話を切れば」
と何度も母親に言っていた。
 今日は早く失礼して履歴書を書こうと思い10時前にペドロの家を出た。
 ホテルで履歴書を書く。すべてを西暦で著さなければならないので面倒だ。
 自分の経験を思い出しながら、また、いちいち辞書を引きながらボールペンで書くので何度も失敗をした。書き終わった時は夜中の2時を過ぎていた。
 28年前部屋こそ違うがこのホテルで出張報告を書き終えたのはいつも朝の6時
過ぎであった事を思い出す。