「スペインで就職を」回想記 マドリドで泥棒に遇う

2) 日本人・タカ
   セバスチャンがピラールの家を去った数日後、日本人青年がやって来た。4月の最初の日曜日だったと記憶している。大きく重いリュックを背負って、アルカラの街を一回りしてやっとの事でピラールの家を見つけたという。青年タカはスペインのホームステイ先に父親ほどの日本人がいる事に驚いたに違いない。
   彼は関西の私大の3年生で、アルカラ大学の留学生である。私が来た時以上に、スペイン語が話せないように思えた。
   私とタカは日本語でよく話をした。彼は高校までサッカーの選手であった。
スペイン語を習いながら自分の将来を探したいと言い、最初は少し理屈っぽい青年に見えた。
   ピラールの家でアリソンとタカと私との4人の生活が始まった。アリソンはアメリカの関連学校に通いながら、毎週末に学校行事の旅行に出かけるので留守勝ちだった。ピラールは仕事が減るので、それを喜んでいると私によく話していた。正直なのか、図々しいのか、とにかくあきれてしまう。
    ピラールの一人息子が1軒屋を購入したと聞いていたが
  「息子と嫁の実家の結びつきが強すぎる。嫁は滅多にうちには来ない。来ても玄関先で帰ってしまう」
と、よく私に愚痴をこぼしていた。
どこの国でも嫁・姑の間はうまくいかないものらしい。ピラールの息子自身2週間に1度は実家に立ち寄り、母親のご機嫌伺いをしていた。この頃はピラールの私への信頼が増したせいか、私の会話力が向上したせいか内輪の話までよく聞かされた。ありがた迷惑でもあったが。
    タカは大学に通い始めた。だが初心者が大学で授業を受けるのは非効率らしく、私の通う学校を紹介することになった。
営業部長のみどりさんから体験入学の許可を得た。この時点では学校に「私とタカが同じ家に住んでいることを知らない事にしてほしい」とお願いまでした。
何故私が気を使わなければならないのか、少しおかしい気もする。だが同じ家に同国人が住む事は学校の条件に対するルール違反である。それを破ったピラールの立場を考慮してのことでもあった。
     この結果タカは大学を辞めて私の通う学校に替わることになった。大学に先払いした学費も取り戻していた。その留学資金は1年間アルバイトで貯めたものだと言った。


     2-7 泥棒
    スペインの春は、セマナサンタ(キリスト復活前夜祭)と共にやって来ると言われているが、アルカラの4月上旬はますます気温が上がり、25度を超えていた。
夏着を送るように妻に頼んだくらいである。
 この陽気に誘われて、タカと共にマドリドに出かけた。
アルカラは、マドリドへ30kmほどの距離にある。国鉄の電車セリカニアにより約40分でマドリドの南方面アトッチャ駅に至る。途中車窓からバラハス空港への着陸態勢をとる大型ジェット機がはっきりと見える。アトッチャ駅から地下鉄に乗り換えて、マドリド1番の繁華街のグランビア駅で降りた。私とタカはカジャオにあるデパート・コルテ・イングレスに向って歩いていた。
    突然1人の男が私の前にしゃがみこんで私の靴の下に手を入れた。
一瞬歩みを止めた。後ろ足に体重が乗るため、歩みを止めざるを得なかった。
次の瞬間「泥棒だ」と思った。
後ろポケットに手を当てると、まだそこには硬さを感じる。あ、大丈夫だ。だが待てよ、今日は財布のほかにパス入れも入れていた筈・・・・。私はあわてて
「泥棒だー」
と叫んだ。タカは、
あいつだ
と5mほど先を速足で去ろうとする、チェックの茶色のブレザーを着た30才前後の男を指さした。私は「追ってくれ」と指図し、泥棒と追跡するタカを追った。
場所は丁度カジャオの地下鉄駅入り口の階段前で2人は地下に姿を消した。
グランビアの反対側の階段を息を切らしながら登切ると、タカが立っていた。
「逃げられた・・」私はもう良いと思った。反対の歩道を見るとパトカーが停まっている。誰が連絡したのか、何と手回しが良い事だと思った。タカと2人パトカーに乗せられ裏通りにある警察署に連れていかれた。
「タルヘタ(カード)を盗まれた」
と言うと、
     警察の入口にある電話で「早く電話しろ」と言う。
     日本の店頭に置かれた公衆電話のような電話機に
「24時間体制でサービスします」とあり、日本語で緊急連絡先が書かれていた。
確か料金も不用であったように記憶している。電話をかけると日本人が出たので氏名、日本の住所、盗まれたカードの種類を伝えた。
 待合室で調書作成の順番を待った。
その間に香港人の若いカップルが入って来た。女性が泣きじゃくっていた。
私のパスポートは無事であったが、日本円を含めた合計7万円、VISAカード。日本の銀行キャッシュカードが入った財布を抜かれていた。
 待つ事1時間半。出された調書を見て驚いた。
日本語とスペイン語の併記されている。これを見ていかに日本人が被害にあっているのか想像できた。1998年4月10日午前11時と記入した。タカがぽつりと言った。
「これでまた日本人が狙われる事になる」
その言葉が耳から離れなかった。個人の被害は個人だけでは終わらない。続けて来る日本人が被害者になる可能性を増やしている事に気がついた。
 警察署を出てタカのカードを借り妻に電話を入れた。すべての処理をもう一度依頼したが、スペインからの情報ですでに済んでいた。
 気が抜けたようにアルカラに戻ってきた。
学校にいる日本人女性の大半がマドリッドで盗難、置引き、ゆすり、などの被害に遭っているそうだ。タカと往路の電車の中で、「何故そんな被害に遭うのか」と笑い話をしたばかりである。
    復路の車中では、だんだんと腹がたってきた。スペイン到着後マドリドには10回以上訪れているが、一度もこんな被害に遭った事はなかった。だがそれは冬場であり、コートを着用していたため、ズボンの後ろポケットに入れた財布が直接泥棒の目にとまらなかったからだ。今日は暖かさもあり、ジャンパーを着てお尻丸出しの恰好であった。
 狙われたら最後である。狙われない用心が肝要である。
日本では常識的に男性はズボンの後ろポケットに財布を入れる習慣がある。ここに金があるぞと表示しながら歩いているようなものだ。
外国はもちろんの事国内でもこの習慣を改める必要がある。次に必要以上の金を持ち歩かない事だ。私は翌日から、スペイン北部のサンセバスチャンに友人を訪ねる予定で、銀行から金を下ろし、そのままマドリドに来た。普段はそんなに金は必要なく、当然持ち歩く事はなかった。うかつにも不幸と不注意が重なった。結局この旅費はタカに借りる事になった。
 家に帰り今日起こった事をピラールに話すと、
「それはスペイン人ではない。おそらく中南米から来た人だわ」
とスペイン人を弁護した。スペインはメキシコをはじめとしたスペイン語圏内の国と、フィリッピン(旧植民地)には労働ビザを容易に与えている。そのため、準移民的外国人が多いと言われている。確かに、そんな人達を街角で多く見かけるが、誰がスペイン人で誰がスペイン人ではないのか、そう簡単に見分けられるものではない。
さらにピラールは続ける。
「お金で済んだから、よしとしなければ」
「2年前、新婚旅行に来ていた日本の若いカップルが、プラード美術館の前で事件に遭遇するのを見た事がある、女性がハンドバッグをひったくられ、男性が後を追って捕まえたら、犯人は刃物で日本人男性を刺し殺してしまったのよ。奥様はその場で泣き崩れてしまって・・・少しのお金ならやればよい」
「少しって幾らぐらい」
「2000ペセタもあれば十分よ」
   スペインでは麻薬的薬は合法で、若者はその金ほしさに人を襲うのだそうだ。
うそのような本当の話で、スペイン人でさえも盗難には気を付けると言う。
ピラールはハンドバックを肩から斜めがけにして、さらに袋部はいつも腹部の前に回してしっかり手で握りしめているそうだ。言われてみると、地下鉄の電車や街角で、そのような恰好をした婦人をよく見かける。
アリソンが話に割って入り、
 「私はパスポートとお金は全部この袋に入れているの、命の次に大事なものだから」と首から吊るした白い袋を見せてくれた。これは名案だと思い、その夜に妻に電話を入れて袋を作って送ってくれるように頼んだ。
 この日以来、私は財布を買わないようにしている。財布を持つと自然にズボンの後ろポケットに入れる習慣が出るから。