3)散髪屋
 スペイン語の上達は遅々として進まないが、爪と髪の毛は休む事なく確実に伸びる。初めての散髪屋に行くのは億劫であるが、必要に迫られピラールにその所在を聞いた。彼女は価格の安い店を教えてくれるが地理的に良く解らないので普通の店を聞いた。駅前通りに面した店だった。
 この散髪屋は男性・女性共通の店であった。受付嬢に予約の有無を質問された後、コートを預け不安な気持ちで待った。待合室は男女共通であるが内部は男性と女性に分かれている。20分程待って名前を呼ばれ中に入ると片側5脚ずつ合計10脚の椅子が壁の鏡に対し設けられていた。ピラールに教えてもらった通り
 「少し髪を切ってください。髪が多いのですいてください。散髪後にシャンプーしてください。」
 と注文を出した。女性理容師は「少し」という量の判断が難しそうで結局普通という表現で理解してもらった。
彼女は不安そうに髪を切りながら、「これで良いか」再三確認していたがある所で落ち着いた。
 黙ってみているとカミソリに替え刃をつけて首の後ろ側は剃るが顔には剃りを入れない。シャンプーは椅子を平面回転して鏡側に移動して頭を洗い場の上で洗髪する。日本では鏡の前の洗い場で前かがみの姿勢をとるがこれと正反対である。
これで料金は1700ペセタである。
 散髪は後々も依頼する表現の仕方が難しい。散髪屋をPELUQUERIAと言い映画をPELICULAと言うがずっとこの発音とスペルには悩まされた。
2-5 学校の生徒
 生徒の出身地はさまざまだ。遠くはブラジル、近くはフランス、イタリア、イギリス、ドイツ、スイス、スエーデン、ロシアという具合に。特にどの国が多いということはないが一番多いのは日本人だったように思う。
 日本人生徒の中には記憶に残る人達も多い。当時東大4年生でNHKに就職が決まっていたマリをはじめ、珍しくも東京理科大3年生のハル、東京出身で高校生のように若く見えたミカ、静岡出身の自称アンダルーサを誇るマキ、長いアメリカ生活経験があり日本語が少しおかしいと言われたミキ、京都出身で頑張り屋のアユミ、58才で頑張っておられたヒデさん、など多くの日本人生徒が代わる代わる学校に来ては去って行く。
 日本人学生の多くは親にお金を出してもらって来るが30才位の女性は皆お金を貯めてやって来る。話を聞くと「これからは男性に頼って生きてはいけない。自立できる手段を持つ必要がある。そのためのスペイン留学だ」と言い切る。こうもはっきりとした自立心を主張されると頼もしくもあり末恐ろしい気もする。とにかく日本も変わりつつある。
2-6 アルカラの春
1) セバスチャンの独り立ち
1月から3月にかけてのアルカラは日中それほど寒くは感じないが夜は相当冷え込む。その温度差は日本人を驚かせる。これで風邪をひく者も出る。
  それでも、4月を迎える頃には随分と暖かくなる。ある日の学校からの帰り道、塀沿いの中庭に桜が咲いているのを見つけた。スペインには桜によく似ていて実はそうではない花木があるという。だが私には関係なく、桜だと思ったらそれは桜なのだ。
桜を見ながら遠く日本を思う。
 妻や我が家の輪郭は覚えていても色が抜けていく。寂しいことにその3か月後には輪郭まで失って、電話で話す妻の声だけが実体としての頼りになった。25年も連れ添って申し訳ない。
この時期にピラールから
「同居人のセバスチャンが家を出て一人暮らしをする」
と聞いた。その後に日本人がやって来るとも聞いた。はて、同じ家に同国人を住ませないのが学校の規則であったはずがだが・・・、まあどちらでもいいと思った。
  セバスチャンはタイから来てスペインに3年も住む大学生で、外交官の父親を持つ令息である。
ピラールはよく私に
「セバスチャンの父親はタイ外務省の中でも重要な人物。でもヨーロッパへ出張のたびにスペインに住む息子には会いに来ても、私には土産物を持ってきたことがない。それに、3年前から下宿代も一切増やしてくれない」
とこぼしていた。
   セバスチャンは3年前の17才の時、単身スペインに来た。翌年、彼の妹もスペインに来た。しかし慣れない生活のせいか妹はノイローゼになり、薬漬けの生活を送った。ある時はナイフを振り回し当時一緒に生活していた日本人留学生は大変怖い思いをしたそうだ。
  とにかくピラールは、セバスチャンが出ていくことはもろ手を挙げて賛成なのである。私は最初セバスチャンのことを暗いと思ったが一緒に生活してみて、なかなか礼儀正しい青年で今ではむしろ好感を持っていた。将来は弁護士を目指しスペイン語の他にフランス語も習っている。英語を含めると4ケ国語を話す逸材である。
  ピラールに「セバスチャンはどこに住むの?」と聞くと、話すのも口惜しいと言う。スペイン人にとって贈り物はかなり重要な交際手段だと認識した。
一方、同じ同居人のアリソンの母親はアメリカで旅行会社に勤めているせいか、よくスペインにやって来ては土産物を置いて帰る。その都度あれをくれた、これを持ってきたと言うピラールの方こそ、まともな神経かと疑う気持ちになる。ピラールの考え方がスペイン人気質として当たり前なのか、それとも個人的なのかよくは解らない。