スペインで就職を回想録 アルカラ留学

3)先生達
 最初の文法の先生は、マリア・ホセという30才を少し過ぎた既婚の女性だ。
家事が忙しいらしく、いつも学校が始まる直前に走りながら私を追い越し、ぎりぎりで授業に間に合う姿をよく目にしていた。それを作文に書くと、「私だわ」と言って苦笑していた。マリア・ホセの夫君は技師で授業の終わる頃に「昼食を一緒に」と廊下で彼女を待つ姿をよく見かけた。私からも話を切り出して「いつかお茶でもゆっくり飲もう」と話した事のある優しい夫君であった。
 年明けの2月ころ、マリア・ホセは他の学校に移って行ったが、3月ころに突然悲報が学校に届いた。
夫婦で休暇を利用してドライブ旅行中、交通事故で2人とも即死との事だった。この時「クアント・ロシエント」なんと「お気の毒に」の言葉を覚えてしまった。いささか不謹慎ではあるが、こういう機会に言葉は自然に覚えるものである。
 文法以外ではコンポジションと言う読解・作文・会話を中心とした授業があった。時間が経つにつれこの授業の難しさが身にしみた。
 それはこの学校が「DELE」というスペイン語検定試験を目標としているため、語彙
を増やす手段として長文解釈を義務づけているからである。
とにかく単語力の不足はどうしようもなく、家で辞書と首引きになる。
 授業に辞書の持ち込みは禁じられていた。「言葉とはイメージする事から始めろ」と言う方針らしいが、芋づる式に解らない単語の連続ではイメージのしようがない。
 このコンポジションの最初の先生は30歳独身女性のアナ。いつもミニスカートをはいて音楽が聞こえるとすぐ曲にのって踊りだす、愉快な先生であった。アナは学校の仕事以外にもアルカラ市内観光ガイドを職業としていた。
 そうこうしている内に、なんとか2週間が過ぎ、12月29日から2週間のクリスマス休みを迎える事になる。
気晴らしにスペイン南部に旅行に出かけようと旅行代理店に列車とホテルの予約を依頼し、代金も支払った。1998年最後の授業が終了した日、生徒と先生を交えた夕食会が開かれた。気の進まないまま参加し、食べ放題の牛肉とワインを浴びるほど飲んだ。ストレスが多量のワインを要求したのだ。
2-3.病気
1) 病気
 その翌朝、どうも胃の調子が悪い。日本から持参した胃薬を多量に服用したせいか、食事を受け付けない日が3日ほど続いた。当然旅行は中止。ピラールにキャンセルを頼んだが往きの新幹線AVEの料金は戻らなかった。心配したピラールが医院にいく事を勧めてくれた。気乗りはしなかったが、診察予約を取ってくれた彼女に付き添われ、自分たちが住むマンションの階下にあるクリ二カへ行く事になった。
 待合室で30分ほど待った後、中二階の階段の踊り場に面した診察室に入った。自分と同年齢に見える男性医師がいた。医師はピラールと会話した後、私に英語が解るかと質問した。そして「いつから悪いのか」と問診を始めた。ベッドに横たわるよう指示し胃のあたりを指で押さえた。
 結果は肝臓のダイエットが必要との事で1週間の食事療法と薬局で買う薬のレセタを書いて手渡してくれた。
支払いは保険なしで5000ペセタ。その足で薬局に行き薬を買ったがここでも5000ペセタを支払った。
その後医師の書いた食事療法メニューがピラール家のキッチンに貼られ、マンサナ・カリエンテと言うリンゴを輪切りにして温めた食事が続く。これは食べられたものではない。薬の効果か、2日後には食事がとれるようになった。しかし今度はあまりに長くベッドに寝たせいで腰が痛くなり、さらに足にも痛みが走った。不安定な足取りで旅行代理店に行き、再び正月休みを利用した南スペインの旅行を予約した。