[スペインで就職を」回想録 ベアサインへ

1-4.ベアサインへ
 1)市場
 朝7時頃、目が覚めた。窓の外の海岸通りには、もう散歩する人達が見えた。
朝食のため1階へ下りる。
 朝食後、時間がだいぶあるので街へ散歩に出かけた。月曜日という事もあり、街は働く人々で活気づいていた。ホテルへの帰り道で“PAIS VASCO INDEPENCIA“ の落書きを壁に見たが、これがバスク独立運動の表示なのかと思った。屋根のついた市場を見つけた。隣の建物の入口から市場の中が見える。
魚、肉、野菜、花等の食料品総合市場であった。すべてキロ単価、表示価格を見ていると魚屋のおばさんが私に気付き何が欲しいのかと聞いてきた。私は慌ててその場所を立ち去った。

2) サンセバスチャン駅
 ホテルに帰り、出発の準備をした。駅まで徒歩で何分ぐらいかとフロントに問う。20分と言う。鞄を肩にかけて川沿いの道を進み、橋を渡り駅の方向に歩いた。今日は天気が良く、青空が見えて暖かい。だんだんと汗をかく。こんなに狭い街なのに駅近くで道に迷いながら駅に着いた。
 まずはサラマンカまでの特急列車DIRUNOの予約を取った。ミランダからの乗り換えであった。それからベアサインまでのセルカニアの切符を買った。
 まだ発車まで30分はある。
 ホームでコーラを飲むと汗が引いて寒くなり、半分ほどで止める。反対側のホームに行くと、乗客がずいぶんと集まって来た。エリザベス女王の体形に似たおばさんから高校生くらいのグループやビジネスマンまで、セルカニアが本当に地元の人に良く使われているのが解る。
 列車がホームに入ってきた。皆の後から車内に乗り込む。
 トロサ駅で特急の追い越しを待った。曲線駅の大きなカント上で、扉は開かれ、傾いた姿勢で停車している。中学生か高校生の男子か解らないが、上着をぬぎTシャツになって扉の前でタバコを吸い始めた。この国はタバコを吸うのに制限がないのかも知れない。
 タバコの歴史が日本と違うのだろう。我が国のタバコの歴史はしょせん400年くらいかも知れない。戦国時代に一服休憩をした話を聞いた事もない。
3) ベアサイ
 そうこう考えている内にセルカニアはベアサインに到着した。
 ここは私がいや私達夫婦で住むかも知れない村である。駅の北側広場には、まるで人間が両腕を天に向け広げたような形の木々が植えられていた。いずれもばっさりと太い枝を剪定され、将来どんな形に成長するのか想像すら出来ない。これはサンセバスチャンや周辺の広場でよく見かける木である。
 ベアサインでは27年前、1ヶ月余りの生活をした。この時はホテルと会社間の往復はすべて会社の送迎車付きであった。理容院に行くため町中を歩いた事がある程度の事。そんなわけで、駅周辺の記憶はあまりないが、駅前の坂にある商店をかすかに思い出した。
 ああ、ついに最終目的地に来た。
 ホテル・カスティージョに行こうと思ったが、この駅でも乗用車とタクシーの区別がつかない。駅から帰宅途中の女子学生に聞くと、タクシーは2台いた。
 「ホテル・カスティージョ」と言ってタクシーへ乗込んだ。狭い町なので、すぐホテルに着いた。
 車から降りてホテル前の広場を360度見渡した。
 何かが変わっているが、おぼろげな記憶が視界からよみがえってくる。駐車場の端にあるドーム型の城の模型、両側の道路、そして緑色の山。
ホテル入口の石段を上った。内部は改装されて大分様子が変わっていた。
 フロントには誰もいなかったが、しばらくすると30歳前後の女性が現れた。
 その女性はアメリカ的なイメージがした。英語でチェックインを済ませた。後で解った事であるが最初日本から電話をした時、FAXでホテル・カスティージョの現状を知らせてくれた人がこの女性であった。
 レストランは15時迄で後30分はある。レストランに入る前、フロントの女性に27年前に撮った写真を見せた。もちろんペドロの写真も。彼女はその写真を見て言った。
「私は最近サンセバスチャンから来たので良く解らないけど、夕方に以前から働いている人が来るから、解るかも」
 その女性が来る16時までだいぶ時間があり、この狭い町を散歩しようと傘を持ってホテルを出た。ホテルの東西に道路があり、北側に短絡道路が設けられている。北側の道路の向こうに4階建てのビルがあり、山への視界を遮っていた。西側道路側の坂を登り、町の中心部に向かって歩く。
 坂を下ると町が開けた。この町には珍しい大きな建物と広場が目に入った。
 その建物の横にサッカー場を含めた多目的グランドがあった。アンツーカーの赤土色が印象的である。そこで押し車を支えながら歩く10人ほどの老人達を見た。さらに町の中心部へと歩く。だんだんと古い建物が増えてきた。狭い町なのですぐ駅前だ。
 道路沿いに進むと川が見える。対岸のブロック塀の上にC会社がある。何となく見覚えのある工場の門を見て進路を逆方向にとった。今度は少し山の手を歩く。小雨が降ったり止んだりしている。
 私は傘をさして歩きながら妻の事を思い出していた。
 もしここに住む事になったとして、妻はこの地に住めるのだろうか?英語も話せない。ましてスペイン語なぞ見た事もない。もし住めたとして、本当に妻は幸せだろうか。考えを続ける。
 女性はこの世に生まれ少女から娘に成長し、ほんの一瞬の出会いで一生を共にする相手を決める。子を産み母となり子供の独り立ちと共に年をとって死んで行くサイクルを皆平等に繰り返す。
 経済的にせよ、家庭環境にしろ、巡り合った男次第の運命に我が身を任せるわけで、私と結婚した妻は本当に幸せなのだろうか。