「スペインで就職を」回想録 語学留学 サンセバスチャン

3章 語学留学(サンセバスチャン)
3-1 サンセバスチャン到着
 雨あがりのサンセバスチャンに着いたのは夜の9時過ぎであった。
 駅のレストランで簡単な夕食を済ませ、アパートに向かった。私が今日から住むピソはフェリッペ・クアトロと呼ばれる通りの4番地にある。駅から歩いて20分くらいで、街の中心街からアラマ地区に向かう入口辺りにある。
 月曜日の夜10時はまだ宵の口だ。混雑するバルを見ながら街を歩く。
 フェリッペ・クアトロの通りはアベニーダ・マドリドというメイン道路の裏側にある。中央分離帯を含めた計4車線の車道、その両側に駐車場スペースと幅広い歩道の間に背の高いプラタナスの街路樹が植えられ、これから葉をつけようとする時期であった。
 高さが統一された9階建ての集合住宅街は1ブロック当たり約100m程度の長さが続く。歩道に面した地階はすべてがバルや商店となっている。歩道から建物の裏の中庭に通じる通路が1ブロック当たり4~5か所ある。
 通路の入口両側には、各部屋との通話用インターホンがついたガラス戸の玄関がある。スペインではどの地方でも2重セキュリティ方式が用いられている。鍵を開けてエレベータで5階にあがり5Aというピソの鍵を開けた。1週間ぶりにベロニカの家に落ち着いた。まだ荷物が届いてない部屋は閑散として広く感じる。
 部屋の片隅には黄色い革のソファーとベッドの脇には白地に赤い格子縞のクロスで覆われた小さな丸いテーブルがあった。
  これから生活する空間である。
 しばらくしてベロニカが帰宅した。私は彼女が家主で別の場所に住んでいるのか、と思っていた。だが同居人である事が解った。彼女は又貸しをしていたのだ。他にも1人住んでいて3人で共同生活の予定だがまだ3番目の住人の姿は見えない。
 ベロニカに最初に教わったのは、ガス瞬間湯沸かし器の取り扱い操作である。
 キッチンと浴室の給湯の役割まで果たす。
 次に台所の流し台の上の食器および食料置き場で棚を3か所に区切った中央が、冷蔵庫の中断がそれぞれ自分の持ち場所と決まった。スペインでは食器から家具まで備え付けで日本のように借り手が揃える必要はない。
3-2 ラクンサ入校
 翌日、8時半に家を出て新しい語学学校ラクンサに向かった。途中道に迷ったので到着まで30分を要した。セントロ地区は碁盤の目のように通りが走っていて1つでも間違うと簡単に目的地に着かない。
 学校の受付にはウソアと言うオカッパ頭の秘書がいた。以前に2回も見積もりを提出させたので私に対して猜疑心を持っているようだ。彼女との関係はその後もうまく行かなかった。ウソアに教室に案内され試験用紙を渡された。私は眼鏡を忘れてきた事に気が付いたが適当に回答して正解率は60%だった。次に女性教師責任者で比較的年配のジョランダーと面接をした。
 スペイン語学学校は一般的にプリンシパンテ(入門)、エレメンタリー、インテルメディオ、アルト、プレアバンサード、アバンサードの6階級に分れている。私はインテルメディオ中級のクラスに決まった。アルカラの学校で果たし得なかったアルトのクラスを望んでいたが、ジョランダーが言うには
 「一般的に言って日本人は会話が上手く出来ない。インテルメディオの期間は長いのでアルトはまだ早過ぎる」
との事、確かにその通りだと思った。
 インテルメディオのクラスは10人で半数以上をスエーデン人が占めていた。
 クラスは殆ど女性で20才前後のスエーデン人とカリフォルニアからの女子カッティ。男性は私と20歳のスエーデン人のラスの2人だけ。皆スペイン語が上手い。
 カッティの両親は米国でスペイン語の教師をしていて、アリソン同様10年間スペイン語を習っているという。何故長く習っていてスペインまで来て勉強する必要があるのか不思議に思う。
 教師はコロコロと変わり名前など覚えられない。生徒の名前もしかり、スペイン語の単語と同じように難しい。その上、生徒の中には2週間で学校を去り次々と替わって行く。
3-13 自炊
 初日学校からの帰り道、街で1番大きなスーパ・マーケット「アルコ」に食材を買いに寄った。アパートから5分の場所にある。スーパーはレストランやモダンなブティックなどが雑居するショッピング・モールの中にある。
 食品売場の地下には昼食前の買い物客で混雑していた。店内ではナシが日本名そのままで売られ、醤油、ラーメン(韓国製)もある。味噌とかうどん・豆腐はないが、まずまず食材は集められると思った。
 日本で全く料理の経験がない私には今日の昼食メニューを何にするかが問題である。最初にひらめいたのはスパゲッティである。
 アルカラに住んでいた時、一度タカが私のためにスパゲッティを作ってくれたのを見た事がある。あれなら自分にも出来る。その後マイコにもいろいろ教えてもらい。ミンチ肉を冷凍保存することも覚えた。その後作り方も一定すると味も自分好みに安定する。言うまでもなく以後5カ月間の主なメニュウはスパゲッティ・ミートソースである。
 また鶏肉を買っておけば鳥のから揚げ、親子どんぶりとメニュウが横に広がる。
米を鍋で炊いて、野菜サラダを加えると、自分なりのサイクル・メニューが出来上がる。学校近くの市場に行けば厚めのステーキ肉を安く買え、焼き方も次第に上達し、自炊で安く美味い料理を作る事を覚えた。ただ鍋で炊飯をする事は難しく何度も焦げつかした。
 サンセバスチャン生活中、同居人ベロニカとベアサインに住む彼女の末娘アイノアに「トリティジャ」というスペイン風オムレツの作り方を教わった。玉ねぎとジャガイモを薄切りにして、卵で表面を覆うだけの安上がりメニュウだがそれでいて腹持ちが良い。
 ベロニカは玉ねぎもジャガイモも手の平にのせて、小刀大の包丁を用いスライスして油をたっぷり入れたフライパンに飛ばして行く。まるで機械のように正確である。まさに名人芸だと思えた。