スペインで就職を(会社編)上司と喧嘩、仕事の成果

2.) 上司と喧嘩
 私の労働ビザ取得に手間取った関係で1人の技師Bが半年の試行期間の条件付きで採用され既に働いていた。
 かなり個性の強い青年で最初随分馬鹿にされていた。
 私と若い技師Bは上司との定例会議で何度となく、仕事の大方針と具体的目標を示すよう問い詰めたが
「もう少し待ってくれ」
 とその場を逃廻っていた。
 そのうち若い技師Bに電算部門と関連した新コード体系のシステム作成を担当する指示を与えた。
 何度となく関係部門を召集してK氏は皆に説明し若い技師Bにシステム修正の指示を繰り返していた。
 そしてこの2人は執務室でいつも大喧嘩をしていた。
 ある時K氏は灰皿を投げつけるなど興奮していた。
 このシステムが稼働を始めてすぐ設計部門から大きなクレームが出た。そ
して中断になった。
 後は責任問題になり若い技師Bは後2ヶ月で首だと宣告を受けたらしい。
 ここから若い技師Bが狂った。社長と直談判を始めた。
「上司のK氏は何も知らない、何もしない」そして
「自分を生産技術部の責任者にしろ」
 社長から新しいテーマを与えられそれが出来ればと言う事になった。
 現場で懸命に智恵を出していたがしばらくして会社を去った。首になったのだ。
 その後、K氏と私の会議で若い技師Bの話が出た。
 若い技師Bに仕事の指示をしてフォローもしていた上司の責任について問い詰めた。
「あなたは何故会社を辞めないのか、若い技師1人に責任を負わせて」
「あなたの指示が間違っていたのでは、私の仕事でもあり得る。そういった無責任な態度をとるのであれば、自分にも考えがある。
 社長と直接話をするからその積りでいてほしい」
 上司は顔を真っ赤にして怒りだした。
言ってはならぬ事を言ってしまった。
 若い技師Bも、上司K氏も、仕事が全く解っていない。
 スペインの技師制度の悲劇であり、喜劇でもある。
 上司は直ぐさま階上の社長室に駆けり込んだ。
 しばらくして、社長から呼び出しの電話があり
「K氏はまだ若くて経験も少ない、指導宜しく」
と言われた。

 全てに優遇されている上司を部下が指導するなんて馬鹿な話があろうか。この時ばかりは長年苦労して得た仕事ではあるが、放り投げて日本へ帰ろうかと苦、苦しく思った。
 要するに彼等との技術的レベルや考え方は子供と大人程違うのである。

15.仕事の成果
 その後上司は生産技術兼技術部の責任者になってNo2のディレクト―ル
の管理下に置かれた。
 丁度その頃、製造部長として40歳くらいの技師が入社してきた。
彼は以前にもこの会社にいて、社内内部や技術にも精通して社員の信用も厚いと聞いた。体格も立派で歳に似合わず頭は禿げ上がり40歳には見えなかった。
 一方、上司K氏は設計課で意見を挟むたび、No2から罵声をあびせられ皆の前で大恥をかかされていた。
 その都度
 「ミエルダ」“糞”
  と唇をかんでいた。もう私には上司はいないのと同然で、頭の禿げ上がった製造部長との話合いで物事を進めて行った。
 NO2からそういう指示が私に出ていたからである。
 クリスマス休暇前にある製品のコスト・ダウンの話が出て、生産技術3名
の中で私以外に経験者がなく自分に回ってきた。
この会社では製造部門別のコスト表はあるがその分析結果は全くない。
 板金製造で大幅な予算オーバを出していた。
 さらに、作業の標準時間もはっきりしていない。
 何かを変えればコストにどう結びつくか、そこから始めなくてはならなかった。
 この1回目のコスト・ダウンはアイデアから目安としてのコストを算出するのに時間をかけ過ぎた。
 試作する前に注文側の客先が生産縮小にせまられてこの話は消滅した。

 次に来たコスト・ダウンは量産機で既に10台程度の製作を終えて大赤字だと聞いた。  早急に採算性改善を図らなければ何のために仕事をしているのか解らないとNo.2と製造部長が嘆いていた。
 前回の失敗は何%コスト・ダウンが可能かと言う机上検討を追い過ぎた為であった。 今回は実質的な結果以外は必要ない。
 この工場はCADで図面を引き、そのデータで薄板板金をレーザーカット後、自動曲げ機械で可能な限り加工しその後溶接組立をする。勿論機械加工部品も含めた組立て作業もある。
 前回のコスト・ダウン検討時にレーザーカットや曲げ機の限界までを勉強した経験は大変役立った。
 簡単な強度計算を行ないながら徹底的に板金部品を集結した結果25%部品点数を減じる事が出来た。
 試作が始まった。
 皆が注目した。
 結果は7時間を要した作業が3時間になった。周りは皆感心した。
「これが日本の技術だ」と言って。
 社長が見に来た。
「素晴らしい」と言ったが
 「これなら1時間で出来る、もっと作業者の尻をたたけ」
 やれやれである。
 それから2次、3次と改善をはかった。
 現場にストップ・ウオッチを持込みデータ取りした。工場は2交代制なので朝6時から出勤して夜の10時まで張り付いた。
 徹底的に作業の無駄を図る事にし、3時間から2時間へ短縮に成功した。
 社長と共に会社を立上げた50歳のベテラン板金作業者のO氏と一緒に仕事をした。彼は鼻歌で仕事をこなす、その動きに全く無駄がなく45分で出来あがった。彼に
「45分だ」と言ったが信じてはもらえなかった。
 その次に他の作業者で試み1時間を切る事を確認した。
 私は、データをもとに作業手順表を作り各作業時間割振りと作業要点を書き込んで壁に貼り付けた。
 工場では奇跡だと噂が流れた。(スペイン人は大げさで恥ずかしい)
工場長から製造部長にと報告がなされ社長と会った時
「御苦労さん」
 とねぎらいの言葉をかけてもらった。
 長い1ヶ月であった。殆ど毎日が16時間作業であった。
 おかげで家には洗濯物が山のように溜まっていた。
 スペインに来て全く経験のない機種と業種で小さな成果を出した。
1年かかった。
 丁度その頃。上司K氏が会社を去ると告げに来た。
「すごいな、すばらしい」
と私をほめてくれた。
 私はK氏に就職の面接から世話になって来た事の礼を言った。そして
「上級技師の資格と職位は無関係であるから、少なくとも5年程度は自ら仕事をする仕事を選んでほしい」
 と伝えた。
 その2週間後に上司は会社を去った。
 コスト・ダウン機種はその後約1500台程生産された。
 私は余程運の良い人間である。前の設計がお粗末すぎたから。
その後、他機種の10~20%のコスト・ダウンの仕事が主な業務となった。