「スペインで就職を」回想録 サラマンカ

1-5 サラマンカ
1) 乗換え
 朝7時半に目が覚めた。
 昨夜は予期せぬ訪問者で幾分興奮気味であったが、今朝はすっかり落ち着いている。昨夜と同じカフェテリアで朝食を取った。8時にフロントにてVISAカードで支払いを済ませ、ホテルからタクシーで駅へ向かった。
 セルカニアはまだ30分間がある。私は早々と反対側のホームに出た。これが悪かったのかとても寒い思いをした。セルカニアの車内で、変なおじさんが私に声をかける。振り返り、このセニョールの下から上まで眺めると車掌であった。私は切符を持たずに乗っている
 スマラガ駅で、30分待ち合わせた後再び特急列車DIRUNOに乗り換えた。
今度のDIRUNOは片側4人、1室8人のコンパートメントである。車両の右側は通路になっている。乗務員が改札に来て「あなたはミランダで乗換えよ」と教えてくれた。
 通路で誰かがタバコを吸い始める。急に私はせき込み始めた。咳をするたびに汗をどっとかく。不調である。咳き込みながら1時間を過ごし、乗換駅のミランダに到着した。
 威張った感じの女性乗務員に乗換えホームを訪ねた。相変わらず咳は止まらない。この乗務員は近くの男性駅員を呼び止め、ホームを教えるよう指示した。
私には18分の待ち時間しかない。建屋の下をくぐると隣のホームに、次のDIRUNOが待っていた。客室はやはりコンパートメントで隣に老夫婦が座っていた。この老夫婦と何も会話をする事なく列車は出発した。
 途中ブルゴス辺りで一面雪の平原を見た。積雪1mはあるようだ。会い変わらず咳き込んでいる。下を向き、老夫婦の会話を聞いていた。
 やがて窓外の雪景色は消え、松林が続く。急にトイレに行きたくなった。
2) サラマンカ
 ミランダ駅から4時間、15時35分定刻にサラマンカ駅に到着した。駅の待合室はサンセバスチャンより広い。偶然、待合室の隅に置かれた自販機に飴を見つけた。はっか入りのアメ1袋を買った。アメの効果で喉はだいぶ楽になる。
 外に出ると、タクシーはすぐに見分けがついた。
「ホテルRONA DALBA」と伝えると、運転手はすぐに解ったらしい。
サラマンカの中心街は駅から随分距離があった。タクシーはだんだん古くて狭い路地の中を走って行く。行き止まりかなと思うとホテルの前に着いた。ホテルの2階には数本の国旗が掲げられていた。
 チェックイン終了後、エレベータで6階に上がると、明るい陽射しをいっぱいに受けた白一色の廊下が見えた。鍵はオートロックであるが鍵をはずしても照明はすぐには消えない。部屋の内部をみると、今回のスペイン旅行で一番高級に見える。
 早速、ミネラル・ウオータを取り出して風薬を飲んだ。
 フロントでもらった地図を片手にホテルを出てマヨール広場を目指す。サラマンカは大学の町である。学生が建物からたくさん出てきた。
 ここも寒い。なんだか道に迷ったみたいだ。路地が狭い。突然広場が現れたかと思うと、また狭い路地が続く。両側も前後も皆古い建物でなんとなく哀愁を帯びて見える。
 歩けば歩くほど、この街にいっそう惹かれる思いがした。路地の向こうに重厚感のあるカテドラルのゴチック風の塔が見えた。別方向にも同じような塔が見える。
 やがて交通量の多い道路にぶつかる。「地球の歩き方」によると、この道路を横切り、さらに橋を渡ると古都サラマンカが一望できると書いてある。橋を渡りながら振り返ると、川向うの小高い丘に先ほど見たカテドラルなどの密集したサラマンカの風景がバランスよく見えた。
 迷いながら、かなり遠回りしてマヨール広場に着いた。100m四方の石畳の広場の周囲を4階建ての建物が囲い、その地上階が商店街になっている。
 辺りはだんだんと薄暗くなってきた。
 商店街に照明が入り、いっそうこの古い街を美しく印象づける。
 小さな教会の前で、2人の若者がエレキ・ギターを弾いている。「コンドルは飛んでいく」の曲だ。歌もうまい。
 街を行きかう人にも、古い建物にも、寒い乾いた空気にも自然にこの曲が溶け込んで行く。この街にぴったりの選曲だと思った。
 この街の良さは、街が主要道路に囲まれているため、すべての場所に徒歩15分ほどで行きつける便利さにある。生活に車を使う必要がなく、観光客や学生も歩いて目的地に達する。もちろん街の中を車が走らなくはないが、あくまでも歩行者優先が徹底している。ESCUELAの宣伝文句の中で、この街はスペインの中で一番安全な街と言うのも、まんざら嘘ではなさそうに思えた。
 読んだ本によると、サラマンカは750年前に大学が設立され、オックスホード、パリ、ポローニャと並ぶヨーロッパ4大学の一つであったらしい。

 

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      サラマンカ・カテドラル