「スペインで就職を」回想録 マドリド・アルカラ

1-2 マドリド
1) アルカラへ
 夜中の2時に一度目覚めまた眠りにつき、起床は6時半頃であった。7時半迄待って電話で朝食の場所を確認した後で0階に下り、フロントから階段でサロンへ上がる。
サロンには大勢の日本人がいた。初めてのせいか私はぎこちない。食事はバイキング形式で昨夜の空腹感をいやすように2皿一杯に盛り合わせた。クロワッサンと短いフランスパン2個とバターとジャムをつけ、コーヒーとオレンジジュースを運ぶ。自宅でとる量の2倍はあるだろう。野菜がトマトしかないのが気にいらないが。
 隣にツアー客の年配の日本人夫妻が座った。ご婦人に声をかける。
 「いつからマドリドへ」
 「3日前からです。貴方はお一人ですか」
 「ええ、仕事を探しに来ました」
 「大変ですね」
2皿分の食事をすべてたいらげて、再び部屋にもどった。
滞在期間中のスケジュールは日本で決め、ホテルの予約もある程度すませていた。
 1月23日 マドリド ESCUELA INTERNACIONAL訪問
 1月24日 マドリド FREE
 1月25日 サンセバスチャン  ホセとマリア訪問
 1月26日 ベアサイ
 1月27日 サラマンカ ESCUELA INTERNACIONAL訪問
1月28日 マドリドへ移動
1月29日 マドリド FREE
1月30日 帰国
今日の予定は年末から半年間スペイン語を学ぶ学校を調べること及びサンセバスチャンへの特急列車TALGOの予約をすませることである。
 9時半頃まで部屋でぐずぐずしていたが、もう学校も始まっていると思い、電話を入れた。
 「アトチャ駅でC2の乗り場からGUADALAJARA(グアダラハラ)方面のセルカニア(近郊列車)に乗って下さい、30分程でアルカラに着きます。それではお待ちしております」
 電話の主はESCUELA(学校)の石坂さんである。石坂さんを知るにはそれなりの
時間を要した。昨年末に上京した際、スペイン政府観光事務所でホテル・カステー
ジャを探している時、偶然にも語学学校ESCUELA INTERNACIONALのパンフレ
ットを見つけた。その後スペイン出発前に学校へFAXを入れたが返事がなく、電話
を入れたところ、日本人の彼女が出たのだ。
こうした経緯から、石坂さんと今日会う事になっていた。
 ホテルを10時に出た。外は完全に夜が明けていたが寒い。アトチャ駅までは5
分と聞いた。大きな道路に沿った歩道を駅に向かって歩く。バス停留所のタバコ宣
伝用看板に旭鷲山らしき関取の看板を見た。なんだろう、タバコと日本の相撲取り
との関係は・・・。
 道路の反対側には、薄茶けたビルが立ち並んでいた。
私はスペインに来た事を実感する。マドリドの27年前の強烈な印象は

{乾いた寒さ}{薄茶けた古い建物}そして{葉巻のにおい}であった。
今まさに、その乾いた寒さの中、薄茶けた建物を見ながら歩いているのだ。
 やがて建物の列が切れ、レンガ色ドーム状のアトチャ駅が見えてきた。信号を三つも渡り駅の中に入ると、エスカレータが見え他には何もない。すべて地下にある。フランスで最初に新交通システムを取り入れたリール駅に似ていた。
エスカレータで下りると、カフェテリアなど商店の並ぶ通りに出た。さらに下りると駅のコンコースへ通じた。
場内にはリズミカルで歯切れのよい、少し威張った感じの女性アナウンスが流れていた。
 切符を買おうと券売機に向かう。アルカラ駅はよくわからないので、GUADALAJARA(グアダラハラ)への490ペセタを用意した。券売機の上部にカバー付き穴が見え、その隣にコイン投入用のスリットがあった。
何回か試みるが要領不明、あきらめて他人を観察した。どうやら最初に丸い穴の中のボタンを押すと、目的地の名前がタッチパネルに表示される。それを指で選び、相当金額のコインを入れると、つり銭と切符が出てくる。
やっと手にした切符で無事、自動改札機を通過した。
 ホームへの降り口にC2,GUADALAJARAの案内を見つけ、エスカレータで下りた。ホームの両側に列車がいる。どちらに乗るのか。ホームを歩くセニオールに確認したところ、C2の番号が掲示されたホームの電車であった。
 アトチャ駅を出たセルカニアは、市民の生活を匂わす住宅街の傍を走る。
マドリド市内の様相と打って変わり、安っぽいアパートにだらしなく洗濯ものが干され、壁に多くの落書きを見た。
 セルカ二アは6両編成の列車で白色で塗装された車体長が25mほどの電車である。1両に3扉が設けられ、椅子はロングとクロスシートタイプの組合せ、車体幅は日本のものよりは広い。扉上部には片側のみ表示板が設けられており、次停車駅の名前と現在時間・温度の文字が流れる。
車内放送がよく聞き取れないので、この表示板の見易い位置の席を選んだ。しばらくすると扉の開閉は半自動であることに気づく。
 アルカラ駅で下車した。駅前には何もない小さな町だった。小さな町だけに学校はすぐ見つかると思ったがFAXでもらった地図は簡単すぎてわからない。2度3度訪ねてもわからないので、市内案内図の前の公衆電話から学校へ電話をかけた。
日本の電話と少し異なり頭に市街局番をつけるとつながった。すぐに石坂みどりさんが迎えに来てくれた。ほんの目と鼻の先から電話したことになる。
 2階の事務所に案内され職員2人を紹介された。
「HABLA USTED ESPANOL」(スペイン語が話せますか)
と質問されたので
「POCO」(少し)
と答えた。そして石坂さんから学校の説明を受けた。
 半年のホームステイで約85万円(授業料、本代含む)と聞いた。生徒数は36歳の日本人男性を含み24人で、中には会社を辞めて多額の貯金を持参し、スペイン料理を習いながら学校に通う日本人もいるらしい。
「私は51才です。年寄りで驚いたでしょう」
「そんなことはないですよ。アメリカ人で86才の方が記録です。今62才のアメリカ人が年金をもらいながら学校に通い、スペインの生活を楽しんでいます」
 石坂さんがそう説明してくれた。私は働く必要があるのでキャリアも説明した。すると
「スペインはEU統合後に労働保険が一律となり、今ではアメリカ人でさえこの地で働くのが難しい。ただし上級技術者は別かもしれない。とにかくスペインの企業に就労ビザを申請してもらえば可能性はあります。」
 とスペイン就職事情を説明してくれた。私は初めて聞いた。そして私は上級技術者ではない。 
 残る問題は学校をアルカラに選ぶか、姉妹校のサラマンカを選ぶのかであった。サラマンカには行く予定であると言うと、石坂さんは推奨するホテルを予約してくれた。石坂さんは続けた。
 「アルカラはマドリドに近いから便利が良いし、私もいろいろとお世話が出来ます。アルカラ半分、サラマンカ半分の手もあります。冬休み前の1レッスンが11月23日にスタートで行われるのでよいでしょう。こちらに来る前に文法の勉強をして来られると良いですね」
しばらくすると、石坂さんのご主人でスペイン人の校長が現れ
 「MUCHO GUSTO」(初めまして)
と挨拶して立ち去った。