スペインで就職を回想録(アパート)

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   一番奥の建物が借りたアパートである

2.) アパート
 アパートは7階建で私の家は6階にある。
 10畳間のサロンの南側は低い腰板の上部を総ガラス窓で構成し浜辺が見え景色に恵まれていた。
部屋は玄関・食堂の他に6室、総ベッド数7、浴室3と1人で住むには広過ぎたが他に代わる物件はない。
 家賃月42000円。
 やっと働きながら家が持てたと思いつつ荷を解く。
 玄関に一番近い部屋を寝室とし、廊下の向かいの浴室とサロン、キッチン
と最短距離の居住空間を使用した。それだけで充分であった。
 建物は築30年を過ぎた鉄筋構造であるがエレベータや全館セントラル・ヒーティングが設けられ田舎の小さな村としては文化レベルの高さが伺える。(30年前の日本の村を想像すると)
 アパートにはテレビ、電子レンジ、掃除機を除き食器に至るまで装備されていた。
 家主は65歳過ぎの未亡人で地階の店でタバコや土産品・雑貨などの売店を経営している。同じ建物に家主が住むのは都合良く感じた。

 この村でも顔を覗き込む様に多くの人達にじろじろと見られた。
村に来た最初の東洋人だからと思っていたが、そのうちに慣れてお互い気
にしなくなり挨拶も簡単なバスク語で交わすようになった。

 聞く話によると、村の部外者に対して犯罪抑止の警戒心からそうなるらし
い。事実、村祭りの夜に店あらしの事件が何件も起こり家主の店も犠牲になった。
 とにかく2001年9月22日デバ村に引っ越した。
 駅迄1分これでサンセバスチャンやビルバオにも自由に行ける。