スペインで就職を回想録(絵画教室、マドリドテロ)

30.絵画教室 
 メモしていたハビエル・サガルサスに電話をかけたのは1月の終わりの日であった。  とにかくホンダリビアに出向くことにした。
 私達の住むデバ村から高速道路を走って80km先のフランスとの国境に面した街ホンダリビアが存在する。
 周りを城壁に囲まれた小高い丘の上に絵画教室があった。
 生徒が来て既に絵を描いていた。
 10坪程度の日の差し込まない絵の具とテレピン油の臭いがきつい教室であった。

 生徒は60歳頃の奥様方が中心でその中に絵のレベルが際立つ3人の女性がいた。
その1人にソレと言う身長170cmを越える甲高い声の50歳前後の女性がいた。彼女の絵の描き方は障子貼りに使う大きな刷毛とコテを用いる。非常に早く絵を描く方法と色彩感は突出していて私の興味を引いた。
 会って間がないと言うのに、日本語を教えてくれと言う。
 しかも最も汚い言葉である。
「くそったれ」
を教えるとハビエル先生に向かい
「くそったれ」を連呼する。
 彼女が何者なのか周りの人に聞くと、まだ絵を描き始めて5年程なのに昨年スペイン全土の新人賞部門第3位に輝いたと聞いた。
絵が上手い筈である。
 それから週2回高速道路を走り妻と私は絵画教室に通った。
 妻は退屈だったろうが手土産品に胡瓜巻きとか日本の食物を作っては皆に紹介して結構人気者になっていた。
 先生ハビエルの頭は完全に剥げているが、私と同じ年齢で10歳の頃から絵を描き始め多くの賞を手にして現在に至っているらしい。
特にスペイン王妃からメダルを授与される写真を彼のパンフレットに載せていた。

31.3月11日マドリード・テロ
 2004年3月11日、朝8時頃からテレビが喧しくマドリドの異常を告げていた。
 最初は何が起こったのか良く理解出来なかった。
 時間の経過と共にマドリドのアトチャ駅やアルカラデ・へナレス近くの駅他で列車爆破の同時テロが発生したと映像を写す。線路上に遺体やけが人が多く横たわっていた。(スペインのテレビ放送で遺体にモザイクをかけない)
最初は20人から30人程度の犠牲者と報道していたが最終的には200人近くの大惨事だと解った。
スペイン・バスク地方には「バスク祖国の自由と解放のため」の“ETA”(エタ)と言うテロ集団がいる。
 この事件が”エタ“によるものと想像することは容易であった。
 現在も活動していてスペイン全土に渡るテロ行為は日常茶飯事のことであった。
ただ規模が大き過ぎた。今までホテルや自動車に爆弾をしかけてもその30分から1時間前には警察にどの地域で爆発が起きると予告の電話があると聞いていた。要人暗殺にはこの予告はなく突然の事件になるが。
 このテロ発生の夜には政府治安担当報道官がETA(エタ)の行為であると報道した。
 その後にアルカイダ系のグループの犯行声明が発表されスペイン全土に衝撃が走った。
 2日後にスペイン総選挙が行なわれた。
 イラク派兵を行なってきた与党PPは選挙前の大勝利の予想に反し、イラク早期撤退をスローガンにした野党PNVに勝利を譲った。
 その翌日デバ村の駅ホームに迷彩色の軍服姿で自動小銃を携帯した数名の兵士が列車から降りる乗客のリュックや鞄の中を検閲していた。
 バスク地方では通常時でもコントロールと呼ばれる特別警戒が突然行なわれる。以前会社の車を買わないかと言われて試乗していた時このコントロールに遭遇したことがある。
 十数人の兵士が道路を遮り、私の車に小銃を突きつけて窓を開けろと命令した。試乗車なので開閉のボタンがどこにあるのかもたもたして緊張した事がある。
 トランク、室内全て検閲されパスポートまで提示した覚えがある。
 自動小銃で脅迫されるのは心臓によくない。

回想録について

「スペインで就職を」回想録について   (1)

 バスク州のサンセバスチャン市は長い間、テロ集団ETAバスク祖国と自由)の本拠地とされていた。外務省の海外危険情報にも記載され、日本人が訪れる事が珍しいベールに覆われた美しい地域である。最近テロ集団ETAは解散宣言をしたらしく日本からの観光客が増えつつある。
 私が最初にサンセバスチャンを訪れたのは1970年で、その27年後の1997年から2004まで現地に滞在した、回想録はこの間の生活体験を綴ったものである。
 
 第1部の「スペインで就職を」は2003年、出版社「碧天社」から共同出版されたが、出版社の倒産で幻の著書となった。今回それに基づいてブログ用に大幅に編集しなおした。
 語学留学(アルカラとサンセバスチャン)及び就職活動・労働ビザ取得までの手続き等の詳細を述べている。

 第2部の「スペインで就職を(その2)」は一度「ブログ・アメバ」にて公開ずみであるが第1部との関連を持った編集を施し「はてな・ブログ」にて公開するもので、スペイン企業入社後の会社生活を主体にスペイン・サラリーマン文化等を述べている。

下図にイベリア半島バスク州の位置関係を示す。               

        バスク州(下図の赤着色部がバスク州を示す)

イベリア半島  f:id:viejo71:20180816181816p:plain

第1部 スペインで就職を
 はじめに
  もはや国際就職は、若者達だけの夢でもなければ、大学教授や科学者たちの特権でもなく何人にも開かれた道である。洋の東西を問わず、海外企業で活躍する日本人はごまんといる筈である。熟年サラリーマンがそれに挑戦したとしても、おかしな話ではあるまい。
 本書は長年勤めた日本企業を51歳で辞め、スペイン・バスク地方に就職を試みた結果、日本企業に一切関わりのないスペイン企業に運よく就職が決定するまでの体験記である。
 語学習得のため現地語学学校や大学で、自分の子供達と同じくらい若い日本人や欧米人に混じっての学生生活から始めた。スペイン語は複雑な文法構造のためか、語学学習は考えた以上に時間を必要とした。その間に数多くの失敗を繰り返しながらも、スペイン北部にある美しいバスク地方・サンセバスチャンを中心とした生活体験とあまり公然でない労働ビザ取得に関する手続きに至るまでを記録したものである。
                  2003年10月 スペインにて 抜粋より