パエリア(パエジャ)作り

・5月26日 パエジャ作り
 午後1時バル・ハビエルでメンチュウ達と落ち合う約束になっていた。ソシオでパエジャを作る。
 メンチュウは私を見るなり「早くソシオへ行け、セバはもう来て準備をしている。
 ソシオではパエジャの食材が皿に盛られていた。
   

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 エビ、イカ、あさり、ムール貝、タコ、ニンニクと、コメ、サフラン
すでにセバが準備を進めていて私にエプロンを着けさせて始める。
浅く広い(直径50㎝)パエジャ鍋にオリーブ油を一杯たらしニンニクの香り宜しい頃材料を入れ始める、米とサフランも加え炒め水を注ぐ。水の調合が難しいと言いながら計量はせず全て感である。水の量と火加減の調整を小刻みに重ねながら火を落とし最後は鍋蓋をして大きなタオルで覆い蒸す。

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 テーブルにはメンチュウ夫婦、ガリシア人のマノロウとアナ夫人、ヘスウスと我々を含めた7人である。パエジャの盛付けをまかされた。
テーブルには生ハムやチーズがオードブルとして準備され赤ワインで昼食は始まった。パエジャの出来はまあまあである。
 ヘスウスは初対面であるがマノローやアナ夫婦は何度もあっておりよく知っている豪放磊落で私の好みのタイプである。
夫婦はそろって血色が大変よく明るくよく笑う。
 なぜアナ夫人はいつも顔色がよいのか聞くと夫マノロー曰く。
「毎日女房にお勤めを果たすからだ」
と言う。マノローの年齢は私より4つ上の当時68歳。メンチュウはそれは大嘘と遮る。
 マノローはもじもじしている。変わりにホセが私に問う。
「お前は避妊具をいくつ日本から持参してきた?」
 空いた口がふさがらない。私はすでに人畜無害の好々爺であるがよほどの好色家に映るのだろうか。