スペイン滞在回想記 弁護士契約

5-17.弁護士契約
(1)契約
会社から
「仕事の契約の話をしたいのでデバへ来るように」
と指示があった。行くと
「デバの会社で働きたいか」
と聞かれた。今さら何故そんな事を聞くのかと思ったが、私の意志の再確認であった。その後、給料の希望を聞かれた。
「スペインの事情も会社の事情も知らないのでそれは判らない」
「雇用は試用期間半年で、給料年棒は・・・。イケルとの友情は別として、半年後の仕事の成果で契約を続行するか否かを決めるがそれで良いか」
「もちろん」
さらに労働当局の資料が不足しているので、再びポダミネスに出向く旨の指示があった。
(2)テーマ
不足分の資料が何を意味するのか、手許にもらっても良く解らなかった。
その資料を持って再び2月22日にデバに赴いた。会社の責任者から
「今、会社は技術者を至急に必要としている。他の人間を雇う事になるかもわからない。そうなると君の仕事は・・・・」
3日前に仮にも契約の話をしておいて、何を言い出すのかと思った。
私自身が居住VIZAを持っていないので、外国人雇用にかかる日数があまりにも長くかかるからだと言う。
「設計的な仕事は家でもやれるので、その問題は克服できる」
「じゃ2週間に1度仕事の結果の会議を持とう」
半年間の具体的なテーマまで決め、当局に提出する資料に双方が必要な項目を書き込んだ。いつから仕事を始めるかは又連絡するという事でその日は別れた。後日、
「デバで打ち合わせた件の実施は少し難しい。また連絡する」
(3) マイコに相談
このあたりからよく解らなくなってきた。料理学校に通うマイコを呼出し、色々
質問した。マイコは私にとって相変わらず「歩くスペイン生活辞書」的存在である。彼女に半年ぶりの再会である。
マイコは昨年、労働許可書を取得していた。それは1昨年のスペイン不法滞在者の申請却下者を救済する時期に、不法滞在ではないが申請して得たものだと聞い
た。非常にラッキーな方法で労働許可書を得たようだ。
私とマイコの場合はだいぶやり方が異なるので、手続きが違うと言われた。マイ
コが持っていたスペイン大使館発行の日本語の資料もコピーさせてもらった。
マイコによると、弁護士を間に入れたほうが当局も安心できて処置が早いとの事だった。
(4) 弁護士ニエベス
弁護士ニエベスは家主ルールデスの幼馴染の親友である。
現在マドリドの労働省で働くかたわら弁護士業務も行っている。
前々から面識があり、居住ビザの件は彼女が力になってくれると以前から話を聞いていた。ニエベスの母親はサンセバスチャンに1人で住んでいてルールデスに世話になっている。ニエベスは月1回マドリドからサンセバスチャンの母親の家に通っていた。
 2月27日、ニエベスが家にやって来て、今の私の問題を質問した。
その後サンセバスチャンの当局の責任者イザベルと同業者のよしみで連絡をとり私の件を確認したという。
ここまで来ると「ただ働き」というわけにもいかず、弁護士契約を結ぶと口頭で伝えた。この時金額の提示がなかったので、10万ペセタぐらい必要かと質問すると、そんなにはかからないと答えた。
(5) 技師の資格
 その後、会社の責任者に弁護士ニエベスと契約した事を、翌日彼女から会社に電話がかかる事も告げた。ニエベスには私の履歴書もすべて渡した。
 最初にニエベスが問題にしたのは技師の資格であった。私は国家的な技師の資格を持っていない。それに学卒者でもない、たとえ大学工学部を卒業していても、その審査に2年間かかると言う。ニエベスから
「技師の登録は難しいので、TECNICOというランク下げの職種でも良いか」
と電話があった。
別に資格で仕事をするわけではないので、それで良いと答えた。日本では技術士の国家的資格制度があるが、技術者がそれをすべて取得して仕事をしているわけではないし、その必要もない。
ヨーロッパではEU圏内での労働市場の開放に、技師という資格制度が尊重されるらしい。もしこの域内での仕事を探そうとするなら、それなりの準備が必要であろう。とにかく技師の話は、今まで嘘を言ってきたわけではない。
スペイン語の解釈で技術者は技師と解釈しても日本流なら少しもおかしくはない。それに前の会社では対外的に何度も主任技術者として登録もした経験もある。
以後この問題は尾を引くことになる。
 ニエベスから再三、
「会社の責任者との話では埒があかない、イケルの父親と直接話をしたいので許可がほしい」
 と言われたが断った。筋を通すべきと思ったのだ。
だがルールデスは
「スペインではスペイン流のやり方があるので、ニエベスに任せたらどうか」
 と説得され、3日後にOKを出した。
 結果は意外であった。大会社ではないからなのか、イケルの父親から
「話を進めてくれ、彼自身に興味があり、私に決定権がある」
との連絡がニエベスからあった。
と同時に5万ペセタの請求がルールデスを介してあった。
当然払うつもりではいたが、相場がわからない。
経営者でもある空手の先生に聞いてみると、
「価格はそんなものでしょう。スペインでは人間関係のコネが強いので、直接社長と話す方が効果がありますよ」
との事だった。
この時点で、居住ビザの手続きで日本に一度帰国する必要の有無が、新しい問題として現れ始めた。依然として弁護士ニエベスと会社の責任者と事務手続き上で難航していた。私は弁護士に任せているので、口を挟む余地はなかった。


5-18 フェリア・デ・ブレバアル
(1) 西洋美術史
大学の西洋美術史のクラスでは、スペインの代表的画家ベラスケス、ゴヤの講義は完了し、2回目の試験も終わっていた。ロマンティカ時代を過ぎて19世紀後半の印象派画家マネ、モネ、ルノアール、デガの観察に入っていた。
イナキ先生の試験の方法は、履修した芸術家の絵画や建築物、彫刻の中から2枚のスライドが課せられて作者名、カテゴリア、手法、テーマ、特徴を記述するものと、選択可能なテーマの簡易論文記述問題だ。いずれも答案用紙は白紙が用意されていた。
論文記述方式の回答方法は例として「何故、印象派画家がうまれたか」と言う質問に対して
「時代背景に写真機が誕生し、ガスから電気と言うエネルギー革命が起こり、写真との異質性を画家達が探す必要と屋外で絵を描いて屋内で仕上げる手法が一般的な印象派の考えである。そのため、モネのように色光を一瞬に捉える試みが行われた。また大衆が各画家の個性を区分する時代になってきた。画家たちはグループ化をして共通の考えを防御した時代である。」
この程度のことは書く必要がある。
個人的には後期印象派と言われるゴッホセザンヌの作品に興味をひかれた。
中でもセザンヌの絵に対する興味はひと際で、大学の教材だけでは物足らず街の本屋で資料を購入した。
(2) 絵画教室
 絵画教室では12号(61㎝X50cm)の作品を10枚ほど仕上げていて、25号(81㎝X60㎝)の絵に挑戦していた。教室にはホセ・ルイスという65歳を少し過ぎた男性会員がいた。絵画歴は既に20年を超えると言い、1枚の絵が20万ペセタはすると豪語する。「波と雲」のスぺシャリストである。彼は大げさなタイプで、絵を描く私の後ろに来て、両手をいっぱいに広げては私の絵に驚きふざけたまねをする。
 彼は家で100人近くの子供と大人を相手に絵画教室を営んでもいる。時々サンセバスチャンのギャラリーへ絵を見に行った。ホセ・ルイスは「売る絵」の特徴を説明してくれる。私に一度絵をギャラリーに持参して価格評価をしてもらえと言う。
「その時は間違っても絵画歴3年なんて事は言うな。もしそう言ったら絵を見る前に話は終わる。それから個展を何回開いたかと質問が必ず出るが、その時も15回以上と言え。その証拠はと聞かれたら、日本の事なので資料を持って来てないと言え」
 との助言をもらった。」ギャラリーの評価は厳しいがためになると付け足した。
 72歳のフエアン(年金生活者)が待望のはじめての個展を開いたので見に行った。 日本人の私が来たという意味もあってか彼の目に感動が光ったのを見た。
個展とはそういう晴れやかなものと、ホセ・ルイスの言うように若手画家が必至になって研鑽を重ねる場の2通りがある。フエアンの絵は1枚も売れなかったと聞いた。
 相当甘い考えではあるが、私の絵の最終目的は人に安らぎを与える事だ。それが出来ればこれ以上の喜びはない。自分の力の評価場所としてスペインの一般の人達に見てもらう個展をいつか開きたいと思っている。
(3) フェリア・デ・ブレバアル
絵画教室は毎月最後の日曜日には、旧市街の前のブレバアルという広場で絵画朝市を開く。登録さえすれば会員はここで絵を売れる。屋外なので雨天の場合は場所を変更する。
ブレバアルはサンセバスチャンでは一番良い場所である。市は朝の11時から午後の2時までの時間帯に開かれ、売れ行きは天気に左右される。私は必ず朝市を訪れ、絵画教室の仲間やその他の会員の絵を見ながら勉強をする。絵を見る人は多いが、なかなか買わない。買う、その決定的瞬間を見てみたい。出展者は約30名で長さ100m程度の屋台を張る。これに対し絵を見に来る人は、多い時で3000名はいるとも言われている。
出展者の中にアンヘルという50代半ばの刻みタバコを吸う画家がいる。
本職か否か判らぬが、少し暗い感じの絵は相当に上手い。加えて彼は絵を売る才能に長けている。大きな絵を描かない。せいぜい2号程度で、額もつけず価格を2万から3万ペセタに押さえる。客が買い易いようにと心がける。多い時で4~5枚を売ると言う。彼の奥さんも協力していた。待つ事2時間。
やっと絵が売れる現場を目撃した。アンヘルではなくて60代の婦人画家が絵を売った。その場に行って確かめると、コンチャ湾を淡い色で塗った15号の絵が7万ペセタで売れたようだ。
「何年絵を描いていますか」
と質問すると大体が15年から20年の経験で主婦が多い。夫は絵の持ち運びなどの役に徹している。

 

 

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